福岡高等裁判所 平成6年(行コ)12号 判決 1998年9月25日
控訴人
河野聡
外三六名
控訴人ら補助参加人
廣安愼太郎
控訴人河野聡を除く控訴人ら及び控訴人ら補助参加人訴訟代理人弁護士
河野聡
控訴人佐川京子を除く控訴人ら及び控訴人ら補助参加人訴訟代理人弁護士
佐川京子
控訴人ら及び控訴人ら補助参加人訴訟代理人弁護士
岡村正淳
同
古田邦夫
同
瀬戸久夫
同
津留雅昭
同
大神周一
同
城台哲
同
山本晴太
被控訴人
平松守彦
外二名
被控訴人ら補助参加人
大分県
右代表者知事
平松守彦
被控訴人ら及び被控訴人ら補助参加人訴訟代理人弁護士
内田健
同
河野浩
同
小林達也
同
立花旦子
同
富川盛郎
被控訴人ら補助参加人指定代理人
野中信孝
外一名
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は、当審における補助参加によって生じた分を含め、控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を、共同訴訟参加人小野貞の請求に関する部分について訴訟の当然終了を宣言した部分を除き、取り消す。
2 被控訴人平松守彦は、被控訴人ら補助参加人(以下単に「大分県」という。)に対し、金二万八五一二円及びこれに対する平成二年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を(内金一万二九〇二円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員については、被控訴人芳山達郎と連帯して)支払え。
3 被控訴人芳山達郎は、大分県に対し、被控訴人平松守彦と連帯して、金一万二九〇二円及びこれに対する平成二年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 被控訴人池邊藤之は、大分県に対し、金五二三一円及びこれに対する平成二年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
6 仮執行の宣言
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
当事者双方の主張は、次の一の1ないし6のとおり原判決を補正し、二以下で当事者双方の当審における主張(従前の主張の整理を含む。)を付加するほかは、原判決事実摘示(原判決二枚目表一〇行目<編注・本誌八七八号一四五頁三段一八行目>から三八枚目表二行目まで<同号一五五頁二段三二行目>)に記載のとおりであるから、これを引用する。
一1 原判決一〇枚目表五行目<同号一四七頁三段二九〜三〇行目>の「(官弊社・国弊社)」を「(官幣社・国幣社)」と改める(一一枚目表四行目<同頁四段三二、三三行目>(二か所)、一二枚目裏八行目<同号一四八頁二段二九行目>、三四枚目裏七行目<同号一五四頁三段七行目>及び三五枚目表二行目<同一七行目>の「弊」について同じ。)。
2 同三〇枚目裏一行目<同号一五三頁二段一八行目>の「同県に、」の次に「右日当三三〇〇円のほか」を加え、五行目<同二五行目>と八行目から九行目<同三〇行目>にかけての「二万五二一二円」をいずれも「二万八五一二円」と改め、九行目<同三一行目>の「真部健二」の前に「被控訴人芳山、」を加え、同行<同三二行目>の「九九〇二円」を「一万二九〇二円」と改める。
3 同三一枚目表七行目<同頁三段一二行目>の「同県に、」の次に「右日当三〇〇〇円のほか」を加え、九行目<同一六行目>と一一行目<同二〇行目>の「九九〇二円」をいずれも「一万二九〇二円」と改める。
4 同三二枚目裏九行目から一〇行目<同号一五四頁一段六行目>にかけての「二万五二一二円」を「二万八五一二円」と改め、一〇行目<同六行目>から一一行目<同八行目>にかけての「(真部健二及び田北昇三に支給された日当等の損害九九〇二円については被告芳山とともに)」を「(このうち右三三〇〇円に相当する部分は、選択的請求と解される。)」と改め、三三枚目表一行目から二行目<同一一行目>にかけての「遅延損害金の支払」の次に「(被控訴人芳山、真部健二及び田北昇三に支給された日当等の損害合計一万二九〇二円については、被控訴人芳山の債務と不真正連帯の関係にある。)」を加える。
5 同三三枚目表六行目<同一九行目>の「被告平松とともに、」を削り、七行目<同二〇行目>の「九九〇二円」を「一万二九〇二円(このうち右三〇〇〇円に相当する部分は、選択的請求と解される。)」と改め、八行目<同二三行目>の「遅延損害金の支払」の次に「(右債務は、被控訴人平松の合計一万二九〇二円の前記損害賠償債務と不真正連帯の関係にある。)」を加える。
6 同三八枚目表一行目<同号一五五頁二段三一行目>の「支出命令権者ではない。」の次に「大分県事務決裁規程(昭和四三年大分県訓令甲第一一号)によれば、右支出については、秘書課及び農産課の各係長が専決の権限を与えられている。」を加える。
二 控訴人ら及び控訴人ら補助参加人(以下、控訴人ら及び控訴人ら補助参加人を合わせて、単に「控訴人ら」という。)の当審における主張
1 被控訴人らは、平成二年一〇月一〇日に大分県玖珠郡玖珠町で行われた主基斎田抜穂の儀において、宮内庁の係員の説明や指示に従って、斎竹や注連縄で囲まれた聖域に入り、係員の合図によって起立、着床を四、五回繰り返した上、神殿に設置された祭壇に拝礼をした。被控訴人らの右行為は、神道儀式に服するとの態度を表明したものであり、主基斎田抜穂の儀に対する被控訴人らの関与の程度は、全体として極めて深いものであったというべきである。
これより先の平成二年二月一六日に行われた事務打合せの席で、宮内庁の担当者から、主基斎田抜穂の儀が同年一一月二二日及び二三日に行われる大嘗祭に関係する諸儀式の一つであり、前日には神道特有の「祓」の儀式が行われることや、大嘗宮の儀では天皇が新穀を「皇祖及び天神地祇」という神道の神々に供えることなどの説明があり、主基斎田抜穂の儀の当日に行われた宮内庁係員の説明の中でも、「神饌、幣物」や「祝詞」などの神道特有の用語が頻繁に用いられた。また、主基斎田抜穂の儀に先立ち、秋田県で挙行された悠紀斎田抜穂の儀が新聞等で大きく報道されており、したがって、被控訴人らは、主基斎田抜穂の儀が神道という特定の宗教の方式に則って行われる儀式であることを当然のこととして承知していたはずである。それにもかかわらず、被控訴人らは、その後行われた主基斎田抜穂の儀に敢えて参列し、拝礼したのである。
さらに、被控訴人らは、主基斎田抜穂の儀が大分県で挙行されることを名誉に感じる人達がいることに思いをなし、主基斎田抜穂の儀に参列することが大分県の農業の振興に役立つと考えていた。このことは、被控訴人らの公式参拝の目的が、天皇の行う儀式と大分県との象徴的結び付きが持つ影響力を意識し、この影響力を利用しようとする被控訴人らの積極的意思に基づくものであったことを意味する。そして、前記のとおり、主基斎田抜穂の儀は、神道という特定の宗教に基づく儀式であり、被控訴人らは、そのことを十分認識していたのであるから、詰るところ、被控訴人らは、神道の方式で行われる皇室儀式と大分県との象徴的結び付きを政治的目的に利用したものといわなければならない。被控訴人らの主基斎田抜穂の儀への参列が単なる社会的儀礼であったとは到底いえない。
2 被控訴人らや大分県は、次のとおり、主基斎田抜穂の儀やこれに関連する諸行事に積極的に関与したが、これらの事実からしても、被控訴人ら及び大分県が神道という特定の宗教に対する援助、助長の目的を有していたということができ、右関与が神道を援助、助長する効果をもたらしたことは明らかである。
(一) 大分県は、庭積の机代物や主基地方の献納物、斎田の選定に関し、宮内庁からの農業団体の推薦依頼があったのに対し、農政部長が大分県農協中央会に出向き、会長である竹下静夫と話し合った上で、宮内庁に対し、大分県農協中央会を推挙した。
このように、大分県は、単に農業団体を推薦したにとどまらず、宮内庁と農業団体との関係が円滑に結ばれるよう間をとりもつなど、より積極的に関与し、その役割を果たしたのである。
(二) 大分県警察は、主基斎田の詳細が公式に発表された平成二年一〇月六日、玖珠警察署に警備実施本部を設け、一〇〇〇名の警察官を動員して、二四時間態勢で参列予定者の警護に当たった。また、大分県警察は、主基斎田抜穂の儀の挙行当日、玖珠町内に約五〇〇名の警察官を配置して、斎田に至る町道で検問を実施し、斎田周辺では、多数の警察官が警備に就いた。そして、主基斎田抜穂の儀終了後も、新米が東京に搬送されるまで約六〇人の態勢で警備に当たった。
主基斎田抜穂の儀は、儀式の細部が一般に公開されないまま行われた。そして、市民グループのメンバーなど儀式の挙行や被控訴人らの参列に反対する市民に対し、抜穂使である掌典職が車で通過する際、反対運動のゼッケンが車中の抜穂使の目に入らないようにするため、警備の警察官が市民の前に立ちはだかるなどして、儀式と抜穂使の神秘性を守り、神聖性を確保しようとした。
(三) 主基斎田抜穂の儀の前日の平成二年一〇月九日に玖珠川の河畔で行われた前一日大祓の儀の斎場周辺は、護岸整備がされ、地均しをした河原に玉砂利が敷かれ、川辺に下りるための木製の階段が新設された。右工事は、大分県農協中央会が主基斎田の場所を発表した同月六日からわずか三日間で完成しているが、本来このような短期間に出来上がるはずがなく、大分県が事前に協力したことは明らかである。
3 主基斎田抜穂の儀については、宮内庁が主管するものとされ、宮内庁の立場は、斎田候補地の推薦母体である農業団体を推薦すること以外に地方公共団体が儀式に関与する必要はなく、参列を希望するのであれば席を三つ用意するというものであったから、右推薦依頼に応ずることを除いて、被控訴人らが主基斎田抜穂の儀にかかわり合いを持つ必要はなかったのである。しかるに、被控訴人らは、次のとおり右儀式の挙行に積極的に関与した。
(一) 被控訴人平松は、宮内庁による主基地方の決定に際して、大分県知事として右決定を積極的に歓迎する意思を表明し、かつ、諸準備について宮内庁等関係機関と十分協議しながら万全を期したい旨の談話を発表するなど、大分県が積極的に関与する姿勢を示した。
そして、前記のとおり、主基斎田抜穂の儀やこれに関連する諸行事に関して、厳重な警備を行い、多額の予算を費消した。
さらに、主基斎田抜穂の儀の二日前に三名以内とする参列の案内に応じて、知事、副知事及び農政部長である被控訴人らがそろって参列したが、被控訴人らは、いずれも大分県の要職にあり、その執務の現状から、直前の案内に対して全員が対応することは、本来あり得ないことである。被控訴人らは、以前から主基斎田抜穂の儀への参列を予定していたか、日程を変更して参列を優先したとしか考えられない。
(二) 被控訴人平松は、宮内庁から主基斎田抜穂の儀参列の案内がある前から、案内があれば参列する旨の談話を発表していただけでなく、公人として参列し、参列者らの旅費、日当を県の公金から支出することを決定した。
(三) 被控訴人らは、主基斎田抜穂の儀が神道という特定の宗教に基づく儀式であることを知りながら、その参列に先立ち、主基斎田抜穂の儀の内容及び性格を調査し又は宮内庁に問い合わせるなどして、関与の可否や許容される範囲について必要な検討を加えるべき義務を怠った。このことは、天皇の宗教儀式に無批判に臣従する姿勢の表れということができ、天皇の宗教儀式への積極的関与といえる。
4(一) 本来、大嘗祭は、皇室の私的な宗教儀式であり、国事行為として挙行することはもちろん、国がこれに公費を投入することは、政教分離の原則に違反し、許されないことである。
しかるに、国は、今回の大嘗祭に巨額の公費(宮廷費)を費やしたが、その目的が皇室による大嘗祭の挙行が円滑に行われるよう援助することにあったことは明らかであり、また、右公費の投入によって、皇室の私的宗教や神社神道を特別視し、これらを援助、促進する効果をもたらしたことも明らかであって、今回の大嘗祭は、前記目的効果基準に照らして、憲法の定める政教分離の原則に違反するものであったというべきである。したがって、主基斎田抜穂の儀もまた違憲の儀式であったといわなければならない。
(二) 被控訴人らは、公務員として憲法尊重擁護義務(憲法九九条)を負い、また、地方公共団体の執行機関として誠実執行義務(地方自治法一三八条の二)が課せられている。したがって、被控訴人らは、右憲法尊重擁護義務及び誠実執行義務に従い、違憲の儀式である主基斎田抜穂の儀に一切関与してはならなかったのであり、関与の程度を問題とするまでもなく、被控訴人らが主基斎田抜穂の儀に参列した行為それ自体が憲法に違反するものであったというべきである。
5(一) 最高裁判所は、政教分離の原則について、いわゆる目的効果基準を採用している。そして、愛媛県による靖国神社への玉串料や愛媛県護国神社に対する供物料の支出が憲法に定めた政教分離の原則に違反するか否かが争われた事件について平成九年四月二日に言い渡した判決(以下「愛媛玉串料事件最高裁判決」という。)において、右愛媛県による靖国神社への玉串料の支出等が憲法に定められた政教分離の原則に違反すると明言し、その理由中で、次の(1)ないし(4)のような判断を示して、目的効果基準を厳格に適用すべきであることを明らかにし、近時の下級審判決が「社会的儀礼」の概念を多用することに対して適正な制限を加えた。
(1) 目的効果基準は、憲法制定の経緯に照らして解釈すべきであり、たとえ相当数の者が望んでいるとしても、そのことのゆえに地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されるとはいえないこと。
(2) 地方公共団体が特定の宗教と特別のかかわり合いを持つことは、一般人にその宗教団体が特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすことになり、原則として特定の宗教に対する援助、助長、促進の効果を有するものであること。
(3) 特定の宗教にかかわる行為が社会的儀礼といえるのは、時代の推移によってその行為の持つ宗教的意義が希薄化し、慣習化した場合に限られること。
(4) ある行為に世俗的目的が併存する場合には、当該行為を客観的にみて、宗教的意義を判定すべきであり、当該行為の目的とするところが特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくても達成することができるか否かを判断要素の一つとすべきであること。
(二) 愛媛玉串料事件最高裁判決が示した右基準に照らして、被控訴人らの主基斎田抜穂の儀への参列を考察するに、憲法が象徴天皇制を採用して天皇の神性を否定し、また、政教分離の原則が定立された経緯は、国と神道とが過度の結び付きを持ち、天皇が国家神道の中心に据えられたことがもたらした悲惨な結果に対する反省に基づくものであった。このような事情に鑑みれば、たとえ国民の相当数の者が望んでいるとしても、国や地方公共団体が天皇の宗教である神道とかかわり合いを持つことは、憲法上許されないというべきである。ましてや、客観的な証拠や十分な論証もなく、国家神道が消滅したとか、国家神道の復活が杞憂であるなどと速断することは、許されないことである。さらに、主基斎田抜穂の儀について、時代の推移等によって宗教的意義が希薄化し、慣習化したということは到底できないばかりでなく、被控訴人らの主基斎田抜穂の儀への参列に新天皇に対する祝意の表明という世俗的な目的があったとしても、被控訴人らの行為を客観的にみれば、宗教的意義を有することは明らかである。
被控訴人らは、主基斎田抜穂の儀において、神道の構造物の中で神殿の祭壇に拝礼するなど宗教儀式に参加するといった行動的、表面的関与を行った。このようなかかわり合いの形態は、愛媛玉串料事件最高裁判決で問題とされた玉串料の支弁と比べても、一般人に特定の宗教への関心を呼び起こす効果が極めて大きい。また、大嘗祭は、天皇を神格化する儀式で、国家神道の中核をなすものであり、主基斎田抜穂の儀が大嘗祭を構成する不可欠の儀式であることを考えると、被控訴人らがこれに積極的に関与したり、これに参列したことが国民に与える影響は著しく大きいというべきである。
(三) 憲法の政教分離の原則は、本来宗教と国や地方公共団体との完全分離を定めたものと解すべきであるが、その点を措くとしても、右に述べたとおり、愛媛玉串料事件最高裁判決の示した目的効果基準に照らしても、被控訴人らによる主基斎田抜穂の儀への参列が政教分離の原則に違反することは明らかである。
三 控訴人らの当審における主張に対する被控訴人らの認否
争う。
第三 証拠
証拠関係は、原審及び当審の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 本件各訴えの適法性について
1 当裁判所も、控訴人らの被控訴人らに対する訴えのうち、被控訴人芳山に対する損害賠償請求に係る訴えについては、被控訴人芳山は地方自治法二四二条の二第一項四号の「当該職員」に当たらないから、不適法であって却下を免れないが、その余の訴えは、いずれも適法であると判断する。その理由は、次の2及び3に付加するほかは、原判決三八枚目表末行<編注・本誌八七八号一五五頁三段九行目>から四一枚目表三行目<同号一五六頁二段一五行目>まで(ただし、三八枚目裏五行目<同号一五五頁三段一八行目>から三九枚目表一行目<同三一行目>までの部分を除く。)に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 控訴人らは、原判決が被控訴人芳山に対する訴えを却下した点について、右訴えのうち少なくとも前四号の「怠る事実」の相手方として提起した不当利得返還請求に係る訴えは、被控訴人芳山に被告適格があり、適法である旨を主張して、原判決を論難する。
しかしながら、原判決が却下したのは被控訴人芳山に対する損害賠償請求に係る訴えだけであって、所論の不当利得返還請求については、原判決は、これを棄却したものであることが明らかである。
3 なお、被控訴人平松は、本件で問題とされている日当、給与及び旅費の支出命令に関して、被控訴人平松が有する決裁権限は、大分県事務決裁規程により秘書課及び農産課の担当各係長の専決事項とされており、被控訴人平松には支出命令権限がない旨を主張する。
乙第二二号証及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人平松の主張する右事実が認められるが、右各費用の支出命令権限は、本来的には被控訴人平松に属すものであるから、この権限が専決事項として秘書課及び農産課の担当各係長に委ねられていることの一事をもって、被控訴人平松が地方自治法二四二条の二第一項四号の「当該職員」に該当しないことにはならない。
したがって、控訴人らの被控訴人平松に対する訴えは、いずれも適法である。
二 事実関係
事実関係は、次のとおり補正するほかは、原判決四一枚目表五行目<編注・本誌八七八号一五六頁二段一七行目>から六〇枚目表四行目<同号一六一頁四段一六行目>まで(ただし、四五枚目表八行目<同号一五七頁三段五行目>から同裏二行目<同一六行目>までの部分を除く。)に記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決四五枚目表四行目<同号一五七頁二段三二〜三三行目>を次のとおり改める。
「 次の事実のうち、(一)ないし(七)はいずれも当事者間に争いがなく、(八)は被控訴人らが明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。
(一) 平成二年二月八日斎田点定の儀が行われ、主基の地方に大分県が選定された後、被控訴人平松は、直ちに「細部の点については、今後県民の協力を得ながら、宮内庁など関係機関とも十分協議し万全を期していきたい。」とのコメントを発表した。
(二) 同月一六日、宮内庁の依頼に基づき、大分県副知事の被控訴人芳山及び当時の大分県農政部長が「新穀の供納等に掛かる事情の打ち合わせ」に出席して協議を行った。
(三) 大分県は、宮内庁に対し、主基斎田を選定して新穀を供納する団体として大分県農協中央会を推薦した。
(四) 大分県は、宮内庁長官名による「庭積の机代物に関する推薦について(依頼)」に対し、同年五月二三日大分県農協中央会を推薦し、同じく宮内庁長官名による「主基地方の献物に関する推薦について(依頼)」に対し、同月三一日大分県農協中央会、大分県椎茸農業協同組合及び大分県漁業協同組合を推薦した。
(五) 同年一〇月八日、大分県玖珠土木事務所長は、主基斎田抜穂前一日大祓に当たり、玖珠川河川敷の一時使用を承認し、主基斎田抜穂の儀の当日も同じ場所を関係者駐車場として使用を承認した。
(六) 同月一四日、大分県御大典奉祝会(大分県神社庁が主要構成団体であり、本部も大分県神社庁にあった。)は、大分文化会館において「天皇陛下御即位奉祝大分県大会」を開催したが、同大会には、大分県知事被控訴人平松の代理として被控訴人芳山が出席し、被控訴人平松の祝辞を代読した。
(七) 同年一一月二二日からの大嘗宮の儀及び大饗の儀には、宮内庁長官からの案内を受け、被控訴人平松が夫人同伴で出席したが、夫人同伴の案内を受けた知事は、開催地の東京都と斎田のあった秋田県及び大分県の知事だけであった。
(八) 平成四年二月一三日、大分県玖珠郡玖珠町の瀧神社の境内に、「平成大嘗祭主基地方の碑」が建立され、除幕式が行われたが、その際にも、大分県知事被控訴人平松の代理がこれに参列した。この儀式では、神職による祭展、碑の清め祓い等の神事が行われている。
2 同四五枚目裏六行目<同号一五七頁三段二四行目>の「第一一五号証の一ないし九、」の次に「第一一九号証の一ないし四、第一二六号証、第一三六号証の一、二、一六、一八、一九、二五、二六、」を、七行目<同二六行目>の「第八号証の一、二、」の次に「第一三号証の一、二、」を、八行目<同二六〜二七行目>の「岡田精司」の次に「当審証人横田耕一及び同洗建の各」を加える。
3 同四六枚目表九行目<同頁四段一六行目>の「(官弊社・国弊社)」を「(官幣社・国幣社)」と改める(四七枚目表四行目<同号一五八頁一段一三、一四行目>(二か所)、四八枚目表二行目<同頁二段一六行目>、同裏四行目<同頁三段八行目>と一〇行目<同一七行目>の「弊」について同じ。)。
4 同五〇枚目裏七行目<同号一五九頁一段二六行目>の「基づく。」を「基く。」と改める。
5 同五一枚目表五行目<同頁二段八行目>から五二枚目表一行目<同頁三段九行目>までを削る。
6 同五二枚目表二行目<同一〇〜一一行目>の「及び宗教性」を削り、九行目<同二五行目>の「九五号証、」の次に「第一二六号証、第一三五号証の一ないし三、第一三六号証の一、二、一五、」を加え、一〇行目<同二六〜二七行目>の「髙木博志」の次に「、当審証人洗建」を加える。
7 同五七枚目裏九行目<同号一六一頁一段二九行目>から五八枚目裏二行目<同頁二段二二行目>までを削り、三行目<同二四行目>の「及び宗教性」を削る。
8 同五九枚目表六行目<同頁三段一三行目>から七行目<同一六行目>までを削り、一〇行目<同二一〜二二行目>の「一二ないし一六、」の次に「第一二六号証」を加え、「岡田精司」の次に「及び当審証人洗建の各」を加える。
三 今回の大嘗祭及び主基斎田抜穂の儀の宗教性
1 大嘗祭は、もともと新嘗祭を起源とし、新天皇が即位した後に一回限り行われる祭事である。
今回の大嘗祭については、その中心的儀式である大嘗宮の儀(悠紀殿供饌の儀及び主基殿供饌の儀)の内容が明らかにされておらず、詳細は不明であるが、神事を司る掌典職の関与のもとに、天皇が皇祖及び天神地祇に新穀を供え、また、自らもこれを食して、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣を感謝するとともに、国家や国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であるとされている(なお、後記政府見解も同旨である。)。
2 主基斎田抜穂の儀は、大嘗祭に関連して行われる諸儀式の一つである。大嘗祭で使用される新穀(米)を収穫するために行われるものであり、大嘗祭に一連の必要な儀式である。
今回の主基斎田抜穂の儀は、神社神道の様式に則り、斎場の周囲に斎竹や神籬が立てられ、注連縄が張り巡らされ、斎場の中には、テントによる神殿、稲実殿、神饌所、幄舎等が設置され、黒白の鯨幕で覆われ、抜穂使や随員(掌典補)が所定の装束を身に着け、固有の祭具を使用して行われた。
3 以上の事実によると、主基斎田抜穂の儀が宗教上の儀式としての性格を有することは明らかである。
四 被控訴人らの参列と政教分離の原則
今回の主基斎田抜穂の儀が行われた当時、被控訴人平松は大分県知事であり、被控訴人芳山は副知事であり、被控訴人池邊は農政部長であって、いずれも地方公共団体である大分県の公務員であったが、それぞれの立場から宗教的儀式である主基斎田抜穂の儀に参列し、公人として宗教とかかわり合いを持ったことが認められる。
そこで、控訴人らの主張に則し、被控訴人らの右参列行為が憲法の禁止する政教分離の原則に違反するかどうかについて検討する。
1 憲法は、二〇条一項後段、同条三項、八九条において、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けている。その理念は、過去の経験を踏まえ、信教の自由を無条件に保障するとともに、その保障を一層確実なものとするため、右のような政教分離規定を設け、これによって国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとするものである。
2 ところで、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国と宗教との分離を制度として保障することによって間接的に信教の自由を保障しようとするものであるが、現実の国家制度として、国と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近く、また、政教分離の原則を貫くと、かえって社会生活の各方面に不合理な結果を招くことにもなる。したがって、国と宗教との分離には、おのずから一定の限界があることを免れず、政教分離の原則は、国が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、そのかかわり合いが我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合には、これを許さないとするものであると解すべきである。この政教分離の原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであって、ある行為が宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。
以上は、判例(最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁、最高裁昭和六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁、前掲最高裁平成九年四月二日大法廷判決・民集五一巻四号一六七三頁)の趣旨とするところである。
3 そこで、右の見地から検討を進める。
(一)(1) 大嘗祭の起源は、遅くとも七世紀末ころの天武天皇又は持統天皇の時代にさかのぼるといわれている。過去の例をみると、理由は定かでないが、応仁の乱後の一五世紀後半ころから約二〇〇年間挙行が中断された時期があり、歴代天皇のうちこの期間を含めて一五天皇が大嘗祭の挙行を見合わせている。しかし、この一時期を除けば、大多数の他の天皇は、即位後挙行までの期間の長短はあるにせよ、一様に大嘗祭を行ってきた。
大嘗祭は、時代の変遷とともに、為政者の思惑や為政者と天皇との力関係、皇室の経済状況等の影響を受け、様式が簡易化されたり、内容が改変されたりしており、古くは、右の約二〇〇年間にわたる中断の結果、旧来の儀式の内容が明確でなくなって、不完全な継承を余儀なくされ、また、近くは、明治維新後意識的に大幅な改革が加えられ、それまでの神仏習合的な様式から仏教的要素が払拭され、神道様式に純化された沿革がある。
以上の事実及び引用に係る原判決五四枚目表一行目から五六枚目表四行目記載の事実を総合すると、大嘗祭は、発祥以来その内容、祭式等において不変不動のものではなく、また、皇位継承に不可欠の儀式とは認め難いけれども、今回の挙行まで一〇〇〇年を超える長い期間、天皇の即位に伴う重要な行事として、皇位継承の都度行われてきた皇室の重要な伝統行事であると評することを妨げない。そして、主基斎田抜穂の儀も、大嘗祭の供え物とする稲穂を収穫する儀式であり、大嘗祭に関係した一連の儀式の不可欠の一部として行われるのであるから、新天皇の即位に伴う皇室の伝統行事としての性格を有するものといわなければならない。
(2) これに対し、控訴人らは、大嘗祭が新天皇の即位に不可欠の儀式ではないこと、登極令に定められた方式による大嘗祭は、明治維新後に行われるようになったものにすぎず、今回の大嘗祭も登極令に則って挙行されたものであって、伝統的な儀式とはいえないこと、大嘗祭は、天皇に神性を付与したり統治者たる天皇への服属を意味する儀式であり、憲法に定められた国民主権、象徴天皇制と相容れないことを理由に、今回の大嘗祭が憲法に違反すると主張する。
しかしながら、大嘗祭の右位置付けについては、既に述べたとおり控訴人らの意見と同旨であるが、その論拠ともされている大嘗祭中断の歴史は、全体としてみればさほど長い期間ではなく、一七世紀に再開されてからは今回の大嘗祭に至るまで間断なく実施されてきた事実があり、加えて、中断の理由にしても、皇室経済の逼迫によるとする見方もあって、必ずしも明らかでないことからすれば、右中断は例外的な事象であるというべきである。また、今回の大嘗祭が、明治四二年に制定され戦後廃止された登極令所定の様式に則して行われたことは事実であるが、登極令は、関係各儀式について旧来の様式を無視して制定されたものではなく、大嘗祭についても旧来の様式と登極令所定の様式との間に連続性が認められることは、甲第七二号証の一、二、第七三号証の一ないし四、第七四号証の一ないし五から明らかである。したがって、右中断の事実及び祭式基準の整備時期をもって、大嘗祭の伝統を否定することはできない。
さらに、大嘗祭の意義については、論者の見解が一致しているわけではないが、新天皇が国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し祈念する意味合いがあることに関しては、概ね争いがないところである。かつて大嘗祭が国の統治者たる天皇に対する服属儀礼としての性格を有していたことについては、例えば、折口信夫が、昭和三年ころ、天孫降臨神話に基づいて、大嘗祭を天皇が神性を取得する儀式であるとする学説を唱えたり、昭和一八年に採用された国定教科書にも、大嘗祭が天皇と大神が一体となる儀式である旨の記載があることから窺い知ることができるが、この服属儀礼としての性格は、長い歴史の中で数々の沿革を経ながら今日まで継承されてきた大嘗祭の過去における一側面にすぎず、今回の大嘗祭がそのような趣旨のもとに挙行されたことを認めるに足りる証拠はない(後記政府見解にも、そのような趣旨は表れていない。)。
したがって、控訴人らの前記主張は、いずれも採用することができない。
(二) 天皇は、憲法上日本国の象徴及び日本国民統合の象徴としての地位にある(一条)。国政に関与する権限はないが、法令の公布、国会の召集、内閣総理大臣や最高裁判所長官の任命など重要な国事行為を行う権限を有している。また、憲法上天皇の地位は世襲であり(二条)、新天皇が即位する際に儀式が執り行われることは、憲法も当然に予定しているところであり、皇室典範は、即位の礼を挙行する旨を規定している(二四条)。
他方、天皇は、当然のことながら、私的に皇室関係の儀式を挙行するに当たり、自ら祭主となり、特定の宗教の様式に従ってこれを執り行うことができるが、皇室においては、儀式は神道の様式に則って行われる伝統がある。今回の大嘗祭が皇室の行事として神道の様式に従って行われたことは、前述のとおりである。
(三) 政府は、平成元年一二月二一日、政府見解「『即位の礼』の挙行について」を取りまとめ、即位の礼を天皇の国事行為として行うことを決定した。しかし、大嘗祭については、新天皇が皇祖及び天神地祇に新穀を供え、自らもこれを食して、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣を感謝するとともに、国家及び国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であるとの位置付けをし、その宗教的儀式としての性格を否定することができないことから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であるとして、これを皇室の行事として行うこととした。その上で、大嘗祭が世襲の皇位継承に伴う一世に一度の極めて重要な伝統的儀式であることを理由に、国としても強い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然であるとして、大嘗祭には公的性格があり、その費用を宮廷費から支出すべきであるとの見解を表明した。そして、政府は、今回の即位の礼及び大嘗祭に関し、警備費等を含めて総額一二三億二七八〇万円の予算を計上し、国会の議決を経た(これらの事実は、いずれも甲第八号証によって認めることができる。)。
(四) 以上の事実を前提とし、かつ、前記目的効果基準に照らして、被控訴人らによる主基斎田抜穂の儀への参列が憲法の政教分離の原則に違反するか否かについて検討する。
(1) 被控訴人らが公務として参列した主基斎田抜穂の儀が宗教上の儀式としての性格を有することは、先に述べたとおりである。そして、当該儀式を司った抜穂使が宗教的信仰心に基づいて儀を執り行ったことは、推測に難くない。
しかし、主基斎田抜穂の儀は、憲法上日本国及び日本国民統合の象徴としての地位を有する世襲の新天皇が、皇位の継承に伴い、皇室の伝統的な儀式として一回限り行う大嘗祭の一部を構成する儀式である。そして、今回の大嘗祭は、前記のとおり公的性格を有するものとして挙行されることになったのであるから、主基斎田抜穂の儀に参列した被控訴人らの主観的意思としては、当時主基斎田を所管する大分県の農政部長の職にあった被控訴人池邊が当審で供述しているように、天皇の即位を祝い、天皇に敬意を表すための参列であったと認めるのが相当である。その余の被控訴人らについても、地元大分県の知事、副知事として同様の目的をもって主基斎田抜穂の儀に参列したものと推認される。
そして、今回の大嘗祭の性格、天皇の憲法上の地位、大分県の立場、被控訴人らの役職等を考えると、被控訴人らの参列行為は、地元大分県の責任者として、祭主である新天皇に儀礼を尽くす意向に出た行為であることが容易に推察され、また、被控訴人らの主基斎田抜穂の儀に対する関与の度合いにしても、後記のとおり、一般人に神道が特別の宗教であるとの印象を与え、神道に対する関心を呼び起こすような態様のものではなく、社会的に相当と認められる範囲内の儀礼行為であった。
そうすると、被控訴人らの行為には、主観的にはもとより、これを客観的に評価しても、特定の宗教である神道に対する援助等の目的があったとすることはできず、また、他の宗教や無宗教の者に対する圧迫等を企図したとみることもできない。
(2) さらに、前記認定の事実によれば、被控訴人らは、主基斎田抜穂の儀において、宮内庁職員の指示に従う形で、起立、着席を数回行い、神壇の前に進み出て、神道の様式に則った礼拝を行ったが、被控訴人らの右行為は、宗教的儀式の参列者に対して一般的に要求される範囲内の行為であり、被控訴人らが右範囲を超えて儀式の進行等について積極的にかかわった事実はない。そして、参列に当たって金銭等を献上した事実もない。また、主基斎田抜穂の儀が行われた斎場は、主基斎田に隣接する場所に一時的に設置されたものであり、将来にわたって一般人が参拝等に利用し得るような恒久的な宗教施設ではなく、その他、被控訴人らの参列は、もともと宮内庁の案内に応じたものであったこと、大嘗祭及びこれに伴う主基斎田抜穂の儀は、定期的に行われる儀式ではなく、天皇の一世一度に限られていることなどの諸事情に照らすと、被控訴人らが主基斎田抜穂の儀に参列し神殿に礼拝したことが、その目的において、大分県と特定の宗教である神道との結び付きを強化する機運を高めるような宗教的意義を持つものでないことは明らかであり、また、その効果において、神道に対する援助、助長、促進又は干渉等になるような行為でないことも明らかであるといわなければならない。
なお、付言するに、憲法の定める政教分離の原則は、右のとおり国と宗教との過度のかかわり合いを禁ずるものであり、かかわり合いのすべてを否定するものではないから、当該行為についての宗教的意義が、時代の推移により希薄化し慣習化して、既に過去のものとなっている場合はもとよりであるが、主基斎田抜穂の儀のように宗教的色彩を帯びた儀式への参列であっても、目的効果基準に照らして相当と認められる限度を超えないときは、右原則に反することにはならないと解するのが相当である。
(3) 控訴人らは、明治以降神道が国家と結び付き、いわゆる国家神道として国民に崇拝を強要し、軍国主義のイデオロギーを支えてきたことによって数々の弊害をもたらしたことを指摘し(「国家神道」の概念は、論者によって必ずしも一定しないが、ここでは右の意味で用いる。)、現在においても国家神道の思想が払拭されていないとして、憲法の政教分離規定は、国と宗教との完全分離を定めたものと解釈すべきである旨主張する。
しかしながら、憲法の定める政教分離の原則は、前記のとおり、国や地方公共団体と宗教との不可避的なかかわり合いを肯定した上で、その許容限度を目的効果基準によって画そうというものであり、国や地方公共団体と宗教との完全な分離の実現を要求するものではない。したがって、控訴人らの右主張は、採用することができない。
もっとも、右政教分離の原則が定立されるに至った歴史的な背景は、宗教に関する我が国の社会的事情の一つとして、右目的効果基準による判断に際して考慮されるべきである。そして、右原則の定立が、控訴人らの主張するように、国家神道の制度的、思想的支配によって国民の信教の自由が侵害されたばかりでなく、軍国の国政を許し、国民に悲惨な戦争の災禍をもたらしたことに対する深い反省に基づくものであることは、多言を要しないであろう。しかし、戦後の憲法の制定及びこれに伴う旧皇室典範等関係法規の廃止、いわゆる神道指令の発出等によって、天皇は、国政に関与する権限を失い、日本国及び日本国民統合の象徴として位置付けられる一方、神社は、国の保護のもとを離れ、純然たる宗教法人として国からの財政的援助を打ち切られ、神社の神官も公務員たる地位を失った結果、戦後国家神道が制度上消滅したことは明らかである。そして、控訴人らが主張するように、現在においても、かつての国家神道の復活を唱える勢力が存在することは事実であるが、このような勢力の主張が違和感なく国民に受け入れられているとは認め難い。神道は今では宗教の一派にすぎず、天皇が神道と結び付き、その神性を背景として日本国を支配しようとしているとの見方は、大多数の国民にとって思いのほかのことであり、その認識は今日ではほぼ確立しているというべきである。また、戦後設立された宗教法人で、全国の大半の神社を擁する神社本庁が、天皇を神格化し、その繁栄を教義としている事実は、甲第五四号証及び当審証人洗建の証言によって認めることができるが、右事実は、前記の判断を左右するものではない。このように、国家神道の思想は既に過去のものとなっており、これを支える精神的土壌は失われたというべきである。
(五) 以上の次第で、被控訴人らによる主基斎田抜穂の儀への参列は、社会通念上憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に該当しないと解するのが相当である。
五 控訴人らの当審における主張に対する判断
1(一) 控訴人らは、天皇の私的な宗教儀式である今回の大嘗祭に国が巨額の公金を投入したことは、前記目的効果基準に照らして、憲法の定める政教分離の原則に違反し、したがって、その関連儀式である主基斎田抜穂の儀も違憲の儀式であるから、これに参列した被控訴人らの行為は、公務員としての憲法尊重擁護義務及び地方公共団体の執行機関としての誠実執行義務に違反する旨主張する。
(二) しかし、国又は地方公共団体と宗教的色彩を持つ行為とのかかわり合いが政教分離の原則に違反するかどうかは、目的効果基準に照らして、個別に判断されるべきものである。国が今回の大嘗祭のために公金を支出したことは、国の今回の大嘗祭に対するかかわり合いの問題であって、国の右行為と被控訴人らが主基斎田抜穂の儀に参列したことは、宗教的儀式に対するかかわり合いの段階が異なり、被控訴人らは、国が公的性格を認めて予算措置を講じた大嘗祭の関連儀式に、地元大分県の責任者の立場から社会的儀礼として参列したものであるから、被控訴人らの右行為が控訴人ら主張の義務違反に問われる理由はない。
(三) なお、甲第八号証によれば、都道府県知事で大嘗祭への出欠を公表した四三名中一六名が今回の大嘗祭に欠席し、そのうち二名が今回の大嘗祭の宗教色を理由としており、また、私費で参列した知事もいたことが認められる。右公表の結果は、それぞれの知事の判断によるものであろうから、これにより今回の大嘗祭又はこれに参列することについての全国知事の宗教的評価の傾向を知ることができるが、宗教とのかかわりを理由に大嘗祭への参加を見送った知事がいたからといって、被控訴人らが地元大分県の責任者として関連儀式に参列した当該行為に対する評価を左右することはできない。
よって、控訴人らの右主張は、採用することができない。
2(一) また、控訴人らは、被控訴人らによる主基斎田抜穂の儀への参列が主観的に新天皇に対する奉祝の意思の表明によるものであったとしても、このような社会的儀礼の目的と宗教的目的とは相容れないものではなく、宗教的目的の有無は、儀礼目的の有無とは別に、客観的に判断すべきである旨主張するが、前記判示のとおり、目的効果基準による判断は、行為者の主観を含む諸事情に基づき、社会通念に照らして総合的に行うものである。しかるに、被控訴人らが主基斎田抜穂の儀に参列するについて、公人としての儀礼目的に加えて、控訴人らのいう宗教的目的があったことは、証拠上認められない。
(二) なお、前掲被控訴人池邊の本人尋問の結果によれば、被控訴人池邊には、主基斎田抜穂の儀に参列する目的の一つとして、大分県の水田が主基斎田に選ばれたことを大分米の宣伝の好機ととらえ、大分県の農業の振興を図る一助とする考えがあったことが認められるが、社会的儀礼として参列した参列者にこのような非宗教的な目的意識が併存したからといって、控訴人らが先きに主張するように、皇室の宗教的儀式と大分県との象徴的結び付きが持つ影響力を政治的に利用しようとしたものであることを認めることはできず、主基斎田抜穂の儀に参列することの社会的儀礼としての評価が右世俗的目的の併存によって否定されることにはならない。
よって、控訴人らの右主張は、採用することができない。
3(一) また、控訴人らは、被控訴人平松が大分県下の田が主基斎田に指定されたことを歓迎する談話を発表したり、主基斎田抜穂の儀の挙行に多大の便宜を図り協力をしたりしたことを指摘し、被控訴人平松やその余の被控訴人らが主基斎田抜穂の儀に必要以上に積極的に関与し、天皇の宗教儀式に無批判に臣従する姿勢を示した旨主張する。
(二) 思うに、前記認定の事実に当審での控訴人河野聡本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人平松が大分県下の田が主基斎田に指定されたことを歓迎する談話を発表したこと、主基斎田抜穂の儀の一日前大祓の用に供するため玖珠川の河川敷の使用を承認したこと、宮内庁職員の直前の口頭による招待に応じて、被控訴人らが主基斎田抜穂の儀に参列したこと、大分県警察が主基斎田抜穂の儀の斎場の警備や関係者の警護に当たったことが認められるが、これらは、主基斎田に指定された地元大分県の責任者がとった措置又は対応として、いずれも社会的に相当にして必要なものであり、その目的が今回の大嘗祭を祝し、その円滑かつ安全な遂行を図るとともに、不測の事態に対処するためのものであったことは明らかである(甲第八号証、同四一号証及び前掲被控訴人池邊の本人尋問の結果によれば、当時大嘗祭に対する反対運動が激化しており、被控訴人池邊の自宅が放火されるという事件も発生していたことが認められる。)。
よって、控訴人らの右主張は、その余の点について判断するまでもなく失当であって、採用することができない。
4(一) 控訴人らは、愛媛玉串料事件最高裁判決が適用した目的効果基準に照らせば、被控訴人らによる主基斎田抜穂の儀への参列は、当然に違憲と評価されるべきである旨主張する。
(二) しかし、被控訴人らの本件参列行為に目的効果基準を適用して得た結論については、前記説示のとおりであって、被控訴人らの右行為は、憲法の定める政教分離の原則に違反するものではない。
愛媛玉串料事件最高裁判決は、愛媛県が、宗教法人である靖国神社や愛媛県護国神社が行う恒例の礼大祭、みたま祭、慰霊大祭に数年間にわたって玉串料、献灯料、供物料を献上したことが政教分離の原則に違反するとの判断を示したものであって、右事件は、私的な宗教団体(宗教法人)が主宰する祭礼に際し地方公共団体が継続して神社に金銭上の給付をしたというものである。これに対して、本件の儀式は、公的機関である天皇の即位に伴い一世に一度行われる大嘗祭の関連儀式であって、宗教上の儀式であると同時に公的性格を有する儀式であり、かかわり合いの態様にしても、被控訴人らは、右のような性格の儀式に地元大分県の責任者として一度参列したにすぎず、かつ、金員の提供を伴っていない点において、愛媛玉串料事件とは本質的に事案を異にするといわなければならない。したがって、愛媛玉串料事件最高裁判決の結論がそのまま本件に妥当するものではない。
六1 以上のとおり、被控訴人らが公務として主基斎田抜穂の儀に参列した行為は、その目的及び効果に照らし、社会通念上政教分離の原則に反するものではなく、被控訴人らが参列のために公用車を使用し、部下を随員として同行させたことに違法はない。
2 したがって、主基斎田抜穂の儀の参列に際して、被控訴人平松及び被控訴人芳山が日当の支給を受けたこと、被控訴人池邊が日当及び参列の時間に対応する給与の支給を受けたこと、魚返敬之が日当及び参列の時間に相当する給与の支給を受けたこと、真部健二が旅費、日当及び参列の時間に相当する給与の支給を受けたこと、山崎定生及び田北昇三が日当の支給を受けたことは、いずれも大分県に対する違法行為を構成するものではないし、また、法律上の原因を欠く受給でもない。
3 よって、主基斎田抜穂の儀に参列するについての被控訴人平松及び被控訴人芳山の故意、過失等について判断するまでもなく、控訴人らの請求(被控訴人芳山に対する損害賠償請求を除く。)は失当である。
七 結語
以上の次第で、控訴人らの被控訴人芳山に対する損害賠償請求に係る訴えは、不適法であるから却下を免れず、控訴人らのその余の請求(被控訴人芳山に対する不当利得返還請求を含む。)は、いずれも理由がなく、これを棄却すべきであり、右と結論を同じくする原判決は相当であって、本件控訴は、いずれも理由がない。
よって、本件控訴をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六七条一項、六一条、六五条一項、六六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小長光馨一 裁判官小山邦和 裁判官長久保尚善)